バックナンバー(1999.2)


 

(1999.2.1掲載)

トレーニング情報

 いま僕のほうは、午前中練習場で練習して、午後から練正館へ帰ってトレーニングをやってるという状況だね。けっこう今年は、時間的にもトーナメントの時間に近いっていう感じでやってる。

 夜遅くまで別段やるなっていうわけじゃなくて、各自気が付いた時にバット振ってたりとかアプローチしてたりとか、あるいはストレッチしてたりとかやっちゃうんだけど、基本的なメニューの時間が10時から4時だね。だいたい10時から4時までが基本メニューなんだけど、まあ夏場のトーナメントとかはもっと早くて8時とかいうスタートがあるけど、基本的に10時から4時ぐらいで組んでるんで、それに合わせてるというところだね。

 でもなんだかんだ言って9時ちょい過ぎぐらいには練習場に行っちゃってぼちぼち始めちゃうし、4時って言いながら4時半ぐらいとか5時までやっちゃうっていう感じかな。けっこういい練習できてます。

 肉体的にはちょうどいい張りが来てて、おっけっこうやってんなぁって感じ。でまあ少し筋肉の張りも強くなったんで、週3日、午後にプールを入れてるんだけど、夕方からプールに行って、マッサージ代わりに軽ーく泳いで、歩いて、で楽ーな感じだね、今。

 あとは午前中練習場でいつもの通りやって、午後ハーフラウンドやったりもする。近くのゴルフ場でハーフラウンドやるんだ。やっぱりコースも週に1、2回は絶対に出たいという気持ちもあるしね。だからぜんぜん片方だけに偏らない。

 前にも書いたよね。シーズン中もやれるメニュー。シーズン中やってるメニューの3倍ぐらいだから、ラウンドとかいろいろ偏らない。食事で言うと偏食にならないっていう感じでやってるといえばいいかな。


(1999.2.2掲載)

メンバーオンリー

 注文していたキャンピングカーが来ました。いままでワークカーとして使ってたチャレンジ号っていう車があるんだけど、今度の車をチャレンジ2世号ってしちゃうと呼びにくいから、チャレンジ号とチャレンジャー号という名前を付けました。

 キャンピングカーのほうがチャレンジャー号っていう名前ね。で、このチャレンジャー号では当然トーナメントにも行くし、ミニツアーにも行くし、まあ探検にも行くし、けっこう活用しますよ。

 でも見た目がレントゲン車みたいなんだよねぇ(苦笑) とてもキャンピングカーに見えないんだ。キャンピングカーというと、たいがいの人が頭の中でイメージするのは、アメリカ風の車で、運転席の上の屋根みたいなところにベッドがせり出てるというようなキャンピングカーをイメージすると思うんだ。

 でもぜんぜん違う。どちらかというとレントゲン車かな?って感じで、なんかあれ違うぞっていう感じなんだ。見る機会があればわかるけど、中嶋プロがレントゲン車って言ってたけどまったくその通りだなぁって思うだろうね。まあ、いろんなトーナメントに乗ってくからぜひお楽しみにって感じだね。

 トーナメントに乗ってくといっても中には寝ないけどね。でもいちおうくつろげるっていうかな。で、この車はメンバーシップ制なんだ。メンバーシップは靴を脱いで入れるけど、メンバー以外の方は入れません。入口に“メンバーオンリー”って書いて、どっかのバブルの頃の会員権じゃないけど、一口500万ぐらいで会員権を売ってやろうかなぁ(笑)


(1999.2.3掲載)

チャレンジャー号の欠点

 昨日会員権売ってやろうかなんて書いたけど、ほんとにチャレンジャー号に入れる券なんて言ってお金取ったらほんと大顰蹙だね。でもねぇ、そのぐらいしないとみんなが入ってきて、みんなが荒らし放題荒らしちゃうような気がしてね。限定しなきゃダメ、ほんとに。

 このチャレンジャー号、欠点があるんだ。どういうことかっていうと、12月1月2月3月ぐらいまでは凍るっていう心配があるよね。まあ、3月はもう凍らないだろうけど、その心配があるから、水を抜かないといけないんだ。凍っちゃうと、要するに水を汲み上げて水道から出したりシャワーから出したりするポンプが壊れちゃう。だから全部水を抜くんだ。けっこうたいへんです。

 タンクから水を抜いておいて、使う時にまた水を入れる。まあ普通は寝泊まりはしないからいいんだけど、でもなんか寂しいよね。でもそこに電球をあてておくわけにいかないしねぇ。バッテリが上がっちゃうから。難しいとこだね。

 その水は飲みはしないけどね。飲むやつはやっぱりペットボトルを積んでおく。シャワーとか流し、物を洗ったり、あるいは物を暖めたりとか、例えばカレーを暖めたりとかシチューを暖めたりとかゆで卵作ったりとかそういうことに使う水なんだけどね。まあ不凍液ってわけにもいかなしね。だって不凍液でシャワー浴びたら、すぐハゲになりそうじゃない(笑)

 この車を使うメインは夏休みだね。ただ四駆じゃないから、奥地へ入ったりすると出てこれなくなっちゃうと思う。まあ行く場所はよく選ぶようにします。それよりとにかく、これでトーナメント行けるのが楽しみだね。今度のトミーフレンドシップの時も乗ってくつもりでいるんだ。


(1999.2.4掲載)

食事中の方、ごめんなさい

 またお酒の話になるけど、みなさん、飲んでもトラにならないようにね。トラになる前にどっかでちゃんと発散しないとダメだよ。

 そのね、トラになる人はわからないんだよね。例えばああ見えても、波場イサク君も危ないんだから。イサクの知り合いの結婚式に行った時にたいへんだったらしい。最近奥さんが、結婚してからいろんなところが出てきたって言うんだ。私のいる前ではそういうことはしないでねって言われてるらしいよ(笑)

 もう結婚式で床で泳ぐなんていうのは朝飯前だし、男のネクタイつかんでキスはするし、あげくの果てに酒飲み過ぎて戻すわけだ。ゲロ吐いちゃうわけ。それがね、その結婚式の帰り道、いちばん若い研修生が車を運転してて、泉谷君が運転席の後ろに乗ってた。で、助手席にも研修生が乗ってて、イサクは助手席の後ろに乗ってたらしいんだ。

 で1発目、その助手席に乗ってる研修生の頭上を越えた足下にドボドボドボォ〜(笑) 彼はフード付きのジャンパーを着てったらしいんだけど、ジャンパーっていうかまあ、結婚式に着ていくんだからそんなに悪いもんじゃないんだけど・・・第二弾はそのフードにドボドボドボドボォ〜(笑) でその後は、窓を半開きにして垂れ流し状態で帰ってきたんだ。

 でも泉谷の目撃証言によれば、一応彼としては助手席の窓ガラスの電動スイッチを探してたんだって、手は。手は一生懸命ウィンドウの上げ下げのスイッチを探してたんだけど、見つからない、口はもういっぱいに膨らんでる、それが前に飛んでったという状況。もう大顰蹙(笑)


(1999.2.5掲載)

お酒にまつわる逸話

 昨日イサクの話を書いたけど、もう1人いるんだよ、トラになる人が。それはIMGのね・・・これはほんと実名出しちゃ悪いから書かないけど、まあちょっと言ってもいいかな・・・仮にHさんっていうことにしとこう。

 この人もほんとにねぇ・・・IMGの人が見てたらぜひ反省文をちゃんと載せるように(笑) Eメールで「おたより」コーナーに載せるようにね。

 それはともかく、ゴルフダイジェストのある記者が結婚したんだ。結婚式には僕も行ったのね。で、披露宴の途中からもうかなりできあがってて、やばかったんだ実は。

 で、ほんとにもう宴もたけなわ。宴も終わりになって、最後に両親に花束贈呈のところがあるよね。そこで大騒ぎですよ。結局そのテーブル全員に押さえつけられて、手足を押さえつけられて、口をふさがれて、それでもまだ、うぉ〜!うぉ〜!!ってすっごいおたけびをあげてたんだ、ほんとうに。まあ、このHさんはお酒にまつわる逸話は多いわ。

 どういう人が危ないかというと、戻さない人のほうが危ないね。早く戻したほうがいい。だって戻したらまた新しく飲めるでしょう。戻して口をゆすいで、柑橘類をちょっと食べて、でまた飲み直せばいいと。戻さないで飲んでて、体に残ってるとよくない。

 これはゴルフも同じ。ボギーを打ったり、ダボを打ったりしたら、それはすぐ掃き出して、新たな気持ちで次のホールに向かわないとね。


(1999.2.6掲載)

のんびり待っててもダメ

 スポーツの中でも野球では日本人が海外で活躍してる。野球はメジャーで活躍してる。ランディ・バースが言ってるんだけど、ピッチャーのレベルはすごいんだ。日本はアメリカよりもスピード、そういう球威はないけれど、コントロールと変化球、自分はびっくりしたと、日本はそんな甘いもんじゃないぞと、彼は言ってる。

 ただメジャーとなると、攻走守揃ってないとダメなんだよね。ピッチャーはすごい。メジャーでも通用する。でも今のピッチャー以外の選手でメジャーでかろうじて通用するとしたらイチローぐらいじゃないかな。

 ゴルフはそれと同じなんだね。ショットがすごい選手はいる。スイングがいい選手もいる。青木さんは100ヤード以内は世界で指折りと言われた。でもメジャーとなるとそれだけじゃダメで、トータルでよくないとダメなんだね。そういう人間が出てくるのをのんびり待っててもダメなんだ。だから行かないと、求めないとダメ。

 日本の政治がソフトランディング、先延ばし先延ばしにしてるっていうのは結局ハードランニングになっちゃう。そんなことをしてる間にこっちがハードランニングにしてっちゃうほうがいいわけだ。去年書いたけど、ほんとに危機感を持ってる人間が少なくなってる。国としての憂いを持ってる人が少なくなってきてる。日本の中で何かをやろうとしたら、自分からやらないといけない。

 紛争を抱えてる地域っていうのは常に危機感を持ってる。常に弓が張られた状態。ところが日本は弓の弦がゆるんでしまった状態。それを打破していく、改革していくのは、これから生まれてくる人達だから、それが出やすくしてあげる、守ってあげるのは親なんだね。いかに出やすくするか、いかに子供を外に修行に出してあげられるか、そういうのを整えてあげられるか、これが大切だと思うんだ。


(1999.2.7掲載)

鉄は熱いうちに打て

 大昔、夏目漱石とかそういう人達が国からお金をもらって海外へ出ていった。国から期待されて、周りから期待されて出てったからには、そうそう簡単に音を上げて帰ってこれない。ほんとぼろぼろになっても帰れない。そうやって先駆者がやってきたんだよね。

 今は簡単に海外旅行に出られるけど、そうやって出るっていうんじゃなくてね。何かできるよ、君ならなんかできるよと。そうやって出してあげなければいけないよね。例えば鉄は熱いうちに打てということわざがあるけど、僕なんかだとやっぱり、44歳にもなってくると、鉄は熱くないんだね。気持ちしか熱くない。体は冷めた鉄なんだ。16、17歳の心身ともにギンギンに熱いという世代が行くのとは話が違う。

 よく定時制の学校に入り直す人っていうのがいるでしょ。それはそれで有意義だし、価値のあることだし、それはそれでいいと思うんだ。でも、15、16歳で昼間は学校にいけない、働かないといけない、でも学びたいんだ、勉強したいんだ、そう思う人間と比べたら、やっぱりそっちを応援したいっていうかね。

 こうやって書いてると、メジャーとか海外ツアーとかで勝つっていう現実に対して否定的に取られるかも知れないけど、そうじゃないんだ。これは勘違いしてもらっちゃ困るんだけど、現実的に63ホール目からの9ホールの厳しさっていうのがあって、それを知ってる人間としては、そんなね、みんなが言うほど簡単じゃないんだってこと。何百倍も難しい。

 その勝つ方法を考えるにはどうしたらいいんだ、どうしたら勝てるんだ。問題は数だと思う。プロゴルファーになりたいという若者が増えれば、それだけチャンスは増えるよね。でもゴルフのフィールドは、140から150人であふれちゃう。入ってこれない。まあグローイングとかも入れて、倍として280人。多くても300人。その週にそれだけしか試合に出ることができないんだよね。

 350番目の18、19歳のまあ仮名・山田○○君とか鈴木××君は他へ行かざるを得ない。その子達は試合に出れないんだから。でも、Jリーグに入りたい、プロ野球選手になりたい、そういう350番目が生まれない、存在しないスポーツだったら外へ出る必要はないんだよね。でも300人しか出られないとして、自分が400番目500番目にいることがわかれば、海外にいくしかないわけだ。そしてそういう状況を作っていくべきだよね。


(1999.2.8掲載)

スポーツの選ばれ方

 どうしたら数を増やせるかといえば、今いるプロがトーナメントというものをより発展させるために、試合に熾烈さがあり、ウィットに飛んでて、それでいて見終わった後によかったと思う試合をもっともっと増やすことができれば、若い人達の気持ちをつかむことができるかも知れないなって思うんだけどね。

 いまアメリカの大リーグ球団が日本に目を光らせてる。マッシー村上さんという大リーガーがいたんだけど、オマリーが新人の時、村上さんは一緒にテストを受けてたっていうんだ。もちろん年代的にはもっと前なんだ。でももう一度チャレンジするために入団テストを受けたと。で、自分はメジャーを肌でもっともっと感じていたいということでバッティングピッチャーを1年やったっていう話なんだ。

 日本だとこういう話は埋もれてしまうんだね。そこがさみしいところっていうか。そういう話っていうのが、日本のゴルフの世界でもっともっとあったらいいんだけど、日本はそういう話をうまく伝えられないんだね。

 また、アメリカではいろんなスポーツをやらせるんだ。日本ではそれが1つしか選べない。でも現実にはアメリカでは、例えばバースなんかも、バスケットやったり、いろんなスポーツをやって、その中から野球を選んだ。スポーツに対して、まんべんなくやらせるんだよね。

 室伏さんが息子に陸上のことをだいたいやらせた、その中で自分と同じ物を選んだ。そういうふうにしていくべきだよね。例えば“振る”って限定してもいい。振るスポーツっていうとゴルフ、野球、テニス、ハンマー投げ・・・そういう中から、少なくとも2つか3つの中から自分がやりたいものを選ぶっていう、そういうふうにしないといけない。

 文部省の学校事業の中ではスポーツというのが少し低く見られる傾向がある。でも、例えばルールを学ぶ。ルールのないスポーツはないんだから、それを学ぶことによって、社会の中での秩序とかそれを自然と学べるんだよね。だから決して無駄じゃないと思うんだ。


(1999.2.9掲載)

1999 Masters Story.1

 今日からはちょっと違うよ、ふっふっふっふっふ。みなさんをマスターズの舞台にご案内しましょう。今日からちょっと長くなるけど、オーガスタを僕と一緒に回ります。物語はたった今からスタートです・・・

 

 1999年4月8日、気温はやや低いがすばらしい天気。風は若干、そよ風とは呼べない風が吹いている。中嶋12回目のマスターズ。この舞台はもう何度も経験しているにも関わらず、やはり当日の朝になるとなぜか心がドキドキする。やはり何年経とうが、何回出ようが、マスターズの緊張というものは変わらず襲ってくる。

 スタート前の1時間半、練習場でたっぷり汗を流し、ウォームアップは万全である。しかし、火曜水曜の練習ラウンドよりも心なしかショットが不安定である。やはりここにも緊張が出ているのだろう。

 例年のようにクラブハウスに向かって左側にある、マグノリアレーン左側のアプローチバンカーで練習を済ませる。最後の仕上げとして、練習グリーンで15分ほどパターを練習。この練習グリーンは二段グリーンで、複雑なアンジュレーションがあり、本番のコースに負けず劣らず難しく仕上がっている。

 この練習グリーンを取り囲んでいるギャラリーもたくさんいる。各選手がスタート前の最後のパッティング調整をしているところを見ているのだ。

 いよいよ我々の前の組がティーグラウンドで素振りをし、ティーショットを放っていく。前の組は南アフリカのアーニー・エルス。そしてプレイングパートナーはタイガー。二人ともいいティーショットをフェアウェイへ打っていった。

 たぶんタイガーはスプーンを使ったのだろう。しかしスプーンにも関わらず、右からのアゲンストをものともせずに軽々とバンカーを越えていった。やはりタイガーは並々ならぬパワーの持ち主である。

 アーニーはドライバーを使い、バンカーの上からややフェードボールでフェアウェイ右サイドの素晴らしいポジションにティーショット打っていった。やはり彼も現在の世界のゴルフ界におけるスーパースターである。(つづく)


(1999.2.10掲載)

1999 Masters Story.2

 さあいよいよ我々のスタート時間だ。4月8日11時54分、オーガスタナショナル1番ホール。僕のプレイングパートナーはアメリカのジョン・ヒューストン

 ギャラリーの間を警察官のガードマンに囲まれてティーグラウンドに上がっていく。ティーグラウンドの後方ではスペアリングシートの名札入れに名前が入れられていく。プレイングパートナー“John Huston”と“Tsuneyuki Nakajima”と書かれたボードがはめ込まれる。

 風は右からのアゲンスト。ティーグラウンドの芝は青々としていて、きれいに刈られている。しかし刈り込まれた跡は毎年バンカー方向を向いていて、少し立ちにくい。毎年感じることだがやはり今年も立ちにくい。

 ティーグラウンドは鰻の寝床のように細長く、幅が狭い。すぐそばにギャラリーが立っている。その息づかいが聞こえるほど近くにギャラリーが感じられる。

 ジョン・ヒューストンのティーショット。彼の名前がアナウンスされる。“Now on the tee John Huston”。ジョン・ヒューストンのティーショットは、心なしかヒールボール。しかしまずまずの当たりである。フェアウェイ中央からのフェードボールでバンカーの左角を越えていった。なかなかのナイスボールだ。

 Next, Now on the tee Tommy Nakajima”。名前が呼ばれた。いつもこのようにアナウンスされ、そして今年もまた、このアナウンスからマスターズがスタートする。12回目のマスターズが、今、始まる。(つづく)


(1999.2.11掲載)

1999 Masters Story.3

 思い返せば初めてマスターズに招待された1978年。初めてのマスターズの記念すべき最初のティーショットはひどいフックボール。左の松の木に当たって、確かセカンドは4番アイアンで打った記憶がある。もうそれも遠い昔の話。

 その後はこの1番ホールではいつもいいティーショットを打っている。一度だけ右の林に入れたことはあるが、手が震えたり、足が震えるわりには、比較的いいティーショットを打っていく。ここはそんなホールである。

 中嶋はフェアウェイの先にあるバンカーの一点を見つめ、ドライバーを振った。ボールはやや高めながらまずまずの当たりで、265ヤードで越えるバンカーをきれいに越え、フェアウェイ中央に落ちた。なかなかのティーショットである。さあスタートだ。

 ティーグラウンドを少し小走りに降りる。下り坂に差し掛かった時、ようやく肩から息がふぅ〜っと抜ける。リラックスできるような感じになってきた。

 フェアウェイでは右にも左にも応援してくれる日本人の姿が見える。その姿を見るとやはり、ここに日の丸を背負ってきているということを実感してしまう。本当は自分のためにプレーしたいのだが、この1番を出ていく時にいつも思うことは、あぁ自分の肩には日の丸が乗ってるんだなということである。しかしそれもまた、自分の励みとなることも事実である。

 さあこのゴルフ場を攻めてみよう。中嶋はオーガスタの大地を足で感じながらセカンド地点へ向かうのだった。(つづく)


(1999.2.12掲載)

1999 Masters Story.4

 ジョン・ヒューストンのセカンドショットは9番アイアン。ピンは左のバンカーを越えたぎりぎりのところに立っている。手前から10ヤード、左から4ヤード。毎年ここか、あるいは奧にカップが切られる。今日は左手前のピン。

 ヒューストンのセカンドショットがグリーンを捉える。ところがピンの右4メートルほどに落ちたボールはスピンがやや強く、グリーン手前まで戻ってきてしまう。そうなのだ。これがオーガスタのグリーンの恐さなのだ。少しでも弱く、バックスピンが強いと、すべてグリーン手前まで出てきてしまう。自分の狙った地点に、スピンまでコントロールした球を打たなければならない。これがマスターズの難しさなのだ。

 たとえティーショットがそれほど難しくないホールであっても、セカンドの距離感、特にアイアンショットのボールの回転、スピンの量まで要求されるゴルフ場というのは、世界広しと言えどもここしかない。

 同じくメジャーの全米オープンでも、スピンはかければかけるほどいいというコースがほとんどであり、スピンが多すぎて困るということはほとんどない。しかしマスターズはスピンが多くてもいけないし、少なくてもいけない。どちらもいけないコース、だから本当にセカンドショットに気を使う。

 中嶋のセカンド地点。毎年このコースに来て思うのは、フェアウェイがまるで絨毯のようなのだ。芝目が若干逆目であろうが、若干順目であろうが、そのようなことを問題にさせないほどよく仕上がっている芝生である。芝の目がよくつまっていて、たぶん裸足で歩いても何も問題はないだろう。

 中嶋の残りは、ピンまで138ヤード。右からややアゲンストの風が吹いている。ライはまずまず。9番アイアンで普通のフルショットを打てばいい。特に力を入れて振る必要もなく、意識してスピンを抑える必要もない。この日のためにやってきたオフの練習通りの、いつものショットを打てばいいのだ。(つづく)


(1999.2.13掲載)

1999 Masters Story.5

 意識がグリーンに集中する。ピンの右に1メートル半、そして奧に1メートル半、そこが狙い目だ。9番アイアン持って、素振りを2回。そして静かにボールに歩み寄り、セットアップ。ギャラリーの声も、風の音も何も聞こえない。集中しているのはボールと落としどころ、この2つだけ。

 バックスイングをゆっくりと上げ、そして心地よい手応えとともにボールが飛び出す。よし、狙い通りだ。ボールが飛び出した瞬間に、手応えでそうわかる。ボールは1メートル半右奧にとんっと落ちて、微動だにしなかった。1メートル半のバーディチャンス

 ゆっくりとグリーンに向かって歩く。このコースはどこを見てもきれいだ。左の松の木が心なしか大きくなったように思える。右の木も大きくなったか・・・いや以前からこの程度の大きさだったのかも知れない。そんなたあいのないことを考えながら、キャディと二言三言話をしつつ、笑顔でグリーンに上がっていく。

 マークは日本から持っていった昭和61年の百円玉。マークをして、キャディにボールを渡す。キャディはゆっくりとボールを拭いてくれる。

 その間にグリーン手前からジョン・ヒューストンがアプローチの体勢に入った。たぶんあのクラブはサンドウェッジだろう。上げてくるつもりのようだ。ジョンのクラブが走る。想像通りサンドウェッジでやや止まるショットを打ってきた。やはりうまい。USツアーで優勝しているだけのことはある。いいアプローチだ。ふっと上がったボールは、ピン右30センチにぴたりと止まった。お先に入れてパー。

 さあ次は僕のバーディパットだ。(つづく)


(1999.2.14掲載)

1999 Masters Story.6

 1番ホールのグリーン左にある9番ホールのティーグラウンドに、これからティーショットを打つ選手の姿が見える。ちょうど8番を終わって上がってきたところのようだ。向こうもこっちを見ている。僕は先にどうぞと軽く会釈をし、彼ら2人がティーショットを終わるのを待った。ティーショットが打ち終わり、歩き出すのを見届ける。

 残り1メートル半の下りのバーディパット。狙いはカップの右フチ。心持ち左から風が来てる。ここまで右からのアゲンストだったのだから、右奧につけば当然やや後ろからスライスのフォローの風になる。

 1メートル半。たかだか1メートル半だが、マスターズで1メートル半のパットを無防備に打てば、4メートル先に行ってしまうのは目に見えている。もちろんそれは練習日から百も承知なのだが、やはり実戦の1メートル半とは違う。

 初日のスタートホール、ここはぜひバーディでスタートしたい。そういう気持ちが自分の指先に伝わってくるから怖い。その気持ちがインパクトを心持ち強くしてしまうのではないか・・・そんなつまらないことをいろいろ考えてはいけない・・・心の中で自問自答しながらラインを読む。

 よし決まった。右フチにクリネックスタッチで打てばいい。慎重にアドレスに入り、そしてゆっくりテイクバックする。ダウンスイングに入り、ヘッドがボールに向かう。しかし心なしか、気持ちオーバーを怖がったストロークになり、インパクトが一瞬弛んでしまった。ボールはカップ右フチに蹴られ、50センチオーバー。

 しまった・・・1メートル半をはずしたことに少し悔いを残しながら、1番ホールはパーで終わる。しかしこのホールは実は隠れた難ホールで、難易度は比較的高いほうなのだ。とりあえずここはパーでよしとしなければいけない。マスターズはまだ始まったばかり。まだ71ホールも残っているのだ。(つづく)


(1999.2.15掲載)

うーん、贅沢だねぇ

 マスターズ中継の途中ですが、ここで日本のスタジオから通常のニュースをお送りします(笑)

 いやぁちょっとね、大発見したんですよ。おかげでこないだハーフ28が・・・まあその話はまた今度の機会にするけど、この発見は今度の2回トミーフレンドシップチャレンジで何を発見したかを少し、すこーしだけど、お披露目をしてあげるから楽しみにしててください。

 トミーフレンドシップもいよいよ来週開催。今年は波場君泉谷君の2人が手伝うっていう感じかな。泉谷はいまゴルフっていうのはほとんど教えるほうで見せるほうじゃないから、まあ遊んでやってくださいって僕のほうがお願いしなきゃいけないかな。なんか泉谷は今風邪ひいててノーパワーだね。

 今年も6組での開催で、昨年同様、僕が3ホールずつずれてきます。これで全員とラウンドできると。うーん、贅沢だねぇ(笑) これ、6組だからいいけど15、16組だったらどうするの?って感じだねぇ。まあそういうふうになったら抽選かな。まあそれはともかくがんばっていきましょう。

 あっ、そうそう、くれぐれも言っておくけど、今年はスタート前の練習は各自血走らないようにね。各自個人プレーに走らない、自分の練習だけ黙々とやらないように。せめてプロがやるワンポイントレッスンだけはしっかり聞いて、それから自分の練習に入ってください。時間のほうは清水さんのほうから案内が出てると思うんだけど、スタート前に15分ほどワンポイントレッスンをやるから、それは聞かないとダメですからね。

 それでは引き続きマスターズをお楽しみください(笑)


(1999.2.16掲載)

1999 Masters Story.7

 2番ホール。ピンクドッグウッドと呼ばれる左へ折れていくロングホール。今年はティーグラウンドが20ヤード後ろへ下がって、ますます右のバンカーが利いてきた。従来タイガージョン・デーリーなどの飛ばし屋は、あの右のバンカーを越えるティーショットを打ち、セカンドショットをショートアイアンで打つような、そんなロングホールになってしまっていたが、今年はそうもいかないだろう。

 ティーグラウンドが20ヤード後ろに下がったことによって、仮にタイガーであっても、よほどいい当たりをしない限り越えていかないだろうし、まして2番ホールでそれだけ叩けるかどうかは疑問である。たぶんバンカー越えではなく、バンカーの左角を狙って打っていくだろう。

 タイガーであればフェードボールでいったとしても、おそらく余裕であのバンカーの先まで飛ばしてくるであろうから、アイアンで2オンさせてくることは間違いない。しかし自分達はそうはいかない。バンカーの左側にストレートボールを打ち、少しでもランを稼いで2オンできるところまで持っていきたい。

 まずジョン・ヒューストンがティーショット。狙い目通りバンカーの左角には出ていったが、少しドローが強すぎる。おそらくあれでは、セカンドショットで左の松がジャマになるのではないか。2オンを狙えるかどうか、微妙なライに行ってしまった。

 僕の番だ。実はドライバーは去年からすごく自信を持てるようになってきているし、今年の冬もいい練習ができた。プロになってこれほどの自信が持てたことは初めてである。本当にドライバーが好きになった。ここでも何も恐れることなく、自信を持って打っていける。

 作戦としては、バンカーの左角を狙うのではなく、あえてやや左目からフェードでバンカーの左角のラインに持っていく。比較的フェードには自信があるし、その作戦を取ることがベストだろう。

 ここでも力みすぎないために、後ろに2、3歩下がり、素振りを2回ほどする。いつものリズム通りだ。そして呼吸を整え、ボールに向かう。スイング。ボールはまるで自分の意志が乗り移ったかのようにいい球筋で飛んでいく。力強さもあった。これならおそらく、2オンが狙える場所まで行っているだろう。(つづく)


(1999.2.17掲載)

1999 Masters Story.8

 ティーグラウンドを下り、歩き始める。フェアウェイの左右には白い花が咲いていて非常にきれいだ。空は青く、白い雲が流れていて、とてもきれいだ。このゴルフ場はなんてきれいなのだろう。毎年毎年そう感じるのだが、なぜか今年はそれをさらに強く感じる。やはりここは聖地なのだ。

 この2番ホールにも初出場の時の思い出がある。1番ホールをボギーとした後、このホールのティーショットがチーピンになり、思いきり左に行ってしまい、そして小川に入ってしまった。おそらくこの2番の左側に小川が流れているなどということは、ほとんどの選手が知らないだろう。もし知っている選手がいたとしても、その小川で苦労した選手はほとんどいないのではないか。いま思えば貴重な体験である。

 セカンド地点。ボールの位置を確認する。少しフックで飛んでいったジョン・ヒューストンのほうが、15ヤードほど前に出ている。しかし予想通り、ジョンのセカンドショットは松の枝がジャマになりそうだ。かなりフックボールのいい球を打たなければ2オンしないだろう。

 僕のボールはいい位置に落ちている。グリーンのフロントエッジまで240ヤード。ダウンヒルで、距離的には十分届く。ピンは右の端、バンカー越えでおよそ2メートルぐらいの位置。ピンプレースを見ると18ヤード奧で、右から4ヤードと書いてはあるが、18ヤードというのはいちばん手前の花道から18ヤードである。ここは逆三角形のグリーン。手前から18ヤードあるわけではない。右からというのも、いちばん右のエッジからの距離であり、右のバンカーとピンの間はおよそ2メートル半というところだ。

 この距離で、しかもこのピンの位置では、直接ピンを狙うのはかなり難易度が高い。よし。グリーン中央を狙おう。突き抜けてもいい。同じアプローチでも、ここは奧からアプローチしたほうが楽だ。その作戦でいこう。スプーンでグリーン中央を狙い、ナイススイングすることだけを考えよう。(つづく)


(1999.2.18掲載)

1999 Masters Story.9

 グリーン上ではちょうど前の組がホールアウトしたようだ。タイガー・ウッズのキャディが持っていたピンが立てられる。前の組の選手(おそらくアーニー・エルスだと思われる)が右のバンカーから打った際に、砂がグリーン上の、特にピンの周りに飛び散ったらしく、それを竹竿のようなものできれいに払っている。どうやらそれも終わったようだ。

 スプーンを持ち、再度方向を確かめる。アドレス、そしてスイング。心地よい感触とともに、球はぐんぐん伸びていく。風も幸い味方してくれている。ぐんぐんぐんぐん・・・よし、そのまま行け! 球はきれいな放物線を描いて、グリーンの中央に落ちる。そしてグリーンの傾斜に沿って少し右に転がり、グリーン奧のカラーの先2メートルほどに止まった。ピンまでは12メートル程度。下りのやや早いアプローチになるだろう。

 ジョン・ヒューストンのセカンドショットはやはり少し狙いにくそうだ。しかし、松を気にしながらもトライする。持っているクラブはおそらく3番アイアンぐらいだろう。3回素振りをし、アドレスする。スイング、これはうまく打った。

 しかし・・・かかりが足りない。足りない足りない。もう少し曲がればいいのだが・・・あぁバンカーだ。しかしナイストライだ。あの位置からのショットだとすれば、ナイストライと言っていいだろう。結果は右手前のバンカーではあるが、うまく打てば傾斜を利用して寄せることができるだろう。

 グリーン付近に来た時、馴染みの顔が一人いることに気づいた。フロリダのジョンさんが観戦してくれている。このジョンさんは、昔僕がアメリカで戦っていた時に持っていたフロリダ州ベイヒルの家の近所に住んでいた、とても人のいいおじさん。彼はパーマーとも親しい。

 彼はベイヒル不動産という会社の経営者。ジョンさんの横に奥さんの姿も見える。よし、ジョンさんにアプローチを見てもらおう。ぴったり寄せてみせるぞ。(つづく)


(1999.2.19掲載)

1999 Masters Story.10

 昨年からアプローチの方法を少し変えた。具体的には、クラブのトゥ側をアプローチで使うようにした。従来はクラブソール全体を地面につけるようにしていたのだが、それを少しトゥ側をつけて、ヒール側を浮かすように変更した。

 このようにクラブの接地面積を少なくすることで、よりパターに近い感覚を出せるようになった。この方法は功を奏している。昨年の後半もこの方法の効果が出ていたし、オーガスタでの練習ラウンドでもいい結果が出た。絶対にいける。

 12メートルのやや下り。球の落とし場所を決める。コツッ。フェイスにはじかれた球が狙った位置に落ち、右からの傾斜に乗ってスゥーと球が伸びていく。速い! 考えていたよりも球足が速い。もういい、止まれ! 球はまるで自分の意志を持った生き物のように、勢いがなくならずに転がっていく。その速度にかげりがあらわれたのは、カップを過ぎてからであった。

 球がその動きをゆるめ、そして静止したのは、カップを3メートルほどオーバーしてからだった。自分としてはいい感じで打った。止まるはずなのだが・・・やはりこちら側からのラインとなると、想像以上に速い。練習ラウンドでチェックはしていたが、試合当日になるとそのスピードがさらに速くなる。

 ジョン・ヒューストンはバンカーからのアプローチ。これもわりと難しいバンカーショットになる。グリーンエッジをぎりぎりに越えた20、30センチ先に、スピンの利いたボールを打たなければならない。しかもその先は、5メートルぐらいスライスしていくラインだ。

 アドレスの際から、比較的軽くフェイスを開いている。テイクバックし、クラブがボールめがけて下りる。これはいい打ち方だ。いいショットだ。ボールを止めるために手で小細工する選手は多いが、彼の場合はそのようなことをせず、フェイスを開いて左上にとんとぶつけていく。いちばんよかった頃の、昔の青木さんとよく似ている。ボールのスピンもいい。これはうまい。うまいが・・・これも止まらない。おいおい・・・3メートルオーバー。このホールはお互いに3メートルオーバーしてしまった。やはりオーガスタのグリーンは油断ができない。(つづく)


(1999.2.20掲載)

1999 Masters Story.11

 どちらが先のパットになるだろう。距離はほとんど変わらない。ジョンを見ると、手を差し出して先に打てというしぐさ。ではこちらからパットすることにしよう。上りのスライス、狙いはカップ左フチより内側。上りのパットなのだから、あれこれ考えずに安心していこう。

 アプローチ同様、パターも昨年開眼した。その通りに打てばいい。ほんの少しハンドファーストにし、左手はしっかり握る、体は動かさない。とん。いい転がりを見せた球は、ギャラリーの拍手とともにカップに沈む。ナイスバーディ。キャディと軽く拳をこつんとつきあわせ、二人で小さなガッツポーズをする。

 ジョンも入れてきた。このホールはお互いにバーディ。まあまずまずのスタートだろう。お互いほんのわずかではあるが、足どりも軽くなる。肩を並べて次の3番ホールへ向かう。(つづく?)

 

 う〜ん、けっこう難しいねぇ。清水さんには普通の雑誌風に変えてやってみてって頼んだんだけど、うまくいってるかな? 元原稿書いてる僕のほうも、やっぱり慣れてないからたいへん。やってみてたいへんだってわかった(苦笑)

 でも一度、選手と読者をラウンドさせてみたいなぁと思ってたんだ。いいアイデアだと思ったんだけど、ちょっとたまんないなぁ。選手と一緒にドキュメンタリーみたいに回らせようと思うと、すごいリアルに表現しないといけないよね。同伴競技者だとか風だとか、やっぱり臨場感というのを伝えたいし、うーんでも・・・やめちゃおっかなぁ(笑)


(1999.2.21掲載)

作家になれるよ(笑)

 さあどうする。Masters Story、もう2ホールぐらいやろうか、やるまいか。もう挫折しちゃっていいものか、続けていったほうがいいのか。うーん、とりあえず2番ホールまでリアルに仕上げたし、反応見てみようかな。3番ホールからはほんとのテレビで見てくださいっていうんじゃダメかなぁ(苦笑)

 まあ、あれどうなっちゃったんですか? 楽しみにしてたんですけどっていう人がいれば、またその時は考えますって感じかなぁ。でもいくつか反響があったね。どうしよ?

 僕もほんと、西遊記やってて初めて疲れたと思ったわ(笑) たった2ホールしかやってないのに、うわぁこれ疲れたぁ〜っていう感じ(笑)

 あのまま18ホールいったら、1冊の本になるよねぇ。であのペースでやってくと本番始まっちゃうから、途中から今年の優勝者をからめていったらおもしろそうだよね。でもまだなんたって初日だからねぇ。初日でギブアップじゃダメだよねぇ。

 しかし、清水さん、いい感じでまとめてくれたね。これはほんと、この西遊記を見てる人に声を大にして言いたいけど、僕の文章をまとめていって、あそこまでの文章にするっていうのはすっごいことだよ、これは。作家になれるよ(笑)

 なかなか臨場感っていうものがあったしね。たぶんあれは何回も手直ししてるんじゃないかなぁ。時間かかってないといいんだけどね。


(1999.2.22掲載)

ゴルフに戻ろう

 いま、ゴルフ西遊記トミーチャレンジと両方のホームページをやってるわけだけど、まあ西遊記は1つの区切りとして、今月いっぱいで一段落しようと思っています。

 ここをやってることは決して負担じゃないんだけど、例えば自分のやってることを発信するわけだね。今やってること、あるいはこれからやろうとすること。そうやってると、やはり自分でこういうことは説明したくないなっていうこともたまには出ちゃうんだ。

 そういうこともやっぱりたまに出てしまうから、これは説明しなくてもよかったし、ここで説明するっていうよりも、自分の心の中で止めておきたかったということもある。

 だからあまりにもなんていうか、自分自身が正直だから、どんどんどんどん言葉にして出していっちゃう。黙って自分の胸にしまっておけばそれをもうちょっとやらずに済んだとか、違う形にできたのに、言ってしまったがために、なんか言った手前やらなきゃいけないっていうふうな感じになっちゃうんだね。実際僕はそういうところがあるんだ。

 でさらに、いままでは日本の政治・経済とか、けっこういろんなことまで話題にしちゃって、話をもってっちゃってるけど、もういいかげん、中嶋プロの博学なのはわかったから、もういいかげんゴルフにしてくれって感じがあるんだ。これはちょっと、自分でホームページ見てて、あぁもうちょっとゴルフに戻ろうっていう気持ちになったというところだね。


(1999.2.24掲載)

ゴルフに戻ろう(2)

 一昨日も書いたけど、今は基本的にゴルフから離れた話も出てるし、多種多様にわたった話が出てる。それがある意味ではおもしろいかも知れないし、みんなの興味を引くところかも知れないけど、もう少し話題としてゴルフに戻してみたいなっていう気持ちがあるんだ。

 例えば練習こうやろうとか、あるいはトーナメントはこう見に行ったらいいんだよとかね。でも僕の話は、けっこういろんな方面に脱線していっちゃう。だからついついそれがおもしろくなって、これも出したいこれも出したいっていうふうになっちゃうんだけど、その点は僕がもっと気をつけて、ゴルフからあんまりはずれないような形にしたいね。

 やっぱり基本的にはゴルフのページなんだから、自分のゴルフに参考になったり、あるいはプロのゴルフがもっと理解できたり、あるいはゴルフのおもしろさの幅を感じられるページを作れればなと思うんだ。

 あっ今日も話題が変わってる、今日もまた変わってる、というのは、確かに見る人にはいいかも知れないけど、そうじゃなくて、昨日技術編が出てた、まあいいや今日は見なくてもって思ってくれてもいいわけだね。まあ、はっきりと宣言したいのは、ここを1つの区切りとして、基本的にゴルフの話に立ち返りたいということだね。

 でも、やっぱりたくさんたくさんアクセスがあるのはうれしいことだけど、その数字を伸ばすためにがんばるのはやめたい。もちろん数字だけでやってるんじゃなくて、ほんと、半分は楽しみだけどね。


(1999.2.25掲載)

時間をかけて作りたい

 いままで西遊記というのはある意味では、ほんとにストレート勝負でぼんぼんやってきた。正直に素直に、自分の気持ちをそのまま出していったわけだけど、週刊誌じゃなくていいと思うんだ。週刊誌じゃなくて、月刊誌になっていいと思うんだ。

 あるいはもっと違うように言えば、毎日来てる朝刊。いまはだいたいどの家庭でもポストに入ってるよね。毎朝の朝刊。それが西遊記だと思ってくれればいい。でもこれを週刊誌というか、本にしたい。日刊を週刊に、あるいは月刊誌に、週刊誌を読んでるとしたら月刊誌にしたいなと。そのぐらいもうちょっと時間をかけて作りたいなと思うんだ。

 清水さんと内容の打ち合わせをしてると、話が長くなるし、中身もいろいろ発展していく。当然そうなると1日じゃ出せなくて、細切れにして毎日になっちゃうっていう感じだね。だけど長いのを書いて、それを4つに細切れにしてっていう形じゃなくて、例えばまあ数日に1回ぐらい、今回はちょっとこれを載せたいなっていうようなテーマを見つけて、それを出す。そういう形でいいんじゃないかなっていう気がするんだ。

 1つのテーマを3回ぐらいに分ければ、例えば10日に1回原稿を書いたとして、それを3回に分ければ3.3日だから、まあ3日に1回ぐらい更新ぐらいになるよね。そういう感じで、更新回数もやはりもっともっと負担がないようにして、ほんとに無理のないところでやりたいね。

 要するに僕のほうも要領よく書ければいいわけだし。別に自分としてはいまのペースでもまったく問題はないし、楽ではあるんだけど、もう少し余裕を持って書いてもいいのかなと思うんだ。まあ更新頻度なんかはすべて清水さんにおまかせだし、結局はあまり変わらないかも知れないけどね(苦笑)


(1999.2.26掲載)

おいおい終わっちゃうのか、これ?(笑)

 で結局のところ、西遊記はどうなるのか? おたよりのほうでは長い間ありがとうございましたなんてコメントがあったりして・・・おいおい終わっちゃうのか、これ?(笑) なんか自分でドキドキしちゃってるよ(苦笑) 長い間ありがとうございましたってあったから、なんかちょっと誤解されてるなぁって気がするね。

 どう変えるかっていうのは、最初はトミーチャレンジページのほうに、中嶋プロのコーナーみたいな、コメントコーナーみたいなものを作って、まあ西遊記がそっちに移るという感じにしようかなと思ったんだ。要するにそっちで1つにしようかなと思ったんだ。

 でもPeopleで最初からオン・ザ・グリーンと活動してきて、順々にこうやってやらせてもらえて、ここまでやってきて、ありがたいっていうかね。できればこのままPeopleでやってきたいっていう気持ちも強いんだ。

 それと、おたよりはくれなくてもファンっていうか読者っていうかけっこう多いみたいだし、西遊記にいままでアクセスしてくれた人達への気持ちだとか、やっぱりここを作るために関係してくれたみんなの努力とか、そういうものに感謝したいし、西遊記友の会の人達もいるしね。当然トミーフレンドシップチャレンジは続いていくし。

 で清水さんといろいろ話をしたんだけど、西遊記とチャレンジページを合体させて1つにしちゃう場合、西遊記のほうの名前を残してチャレンジのページを持ってくるのか、それともチャレンジページの中に西遊記をもってくるのか。どっちがいいかなと。

 でもネームの定着っていう感じで考えると、西遊記のほうがぜんぜん強いんだよね。だからほんとこっちで合体させて、例えば“西遊記2”とか“新・西遊記”っていうような言葉にするのがいちばんベストかも知れないなって思うんだ。


(1999.2.27掲載)

どう変わるのか楽しみ

 いまは窓口が2つあるわけだね。ここにある西遊記と、清水さんのページにあるチャレンジページと。それでどちらかというと西遊記のほうにアクセスが偏ってる。西遊記が正面玄関になっちゃってて、チャレンジツアーのほうがちょっと行きにくいっていう感じになってる。でそれを統合することで、1つの場所から両方を見られるようにしようと思うんだ。

 チャレンジツアーを応援してくれているスポンサーのことを考えると、実際トーナメントを応援してくれてるわけだし、そういう点ではトミーチャレンジツアーのホームページも大事にしたいっていう気持ちもある。

 本当はチャレンジに入っていって、その中に西遊記があるっていうほうが、僕の希望としてはうれしい。チャレンジを見なきゃ西遊記に入れないっていう感じ。要するに通る道がそういうふうにそうなってて、表札がチャレンジになるっていうのがベストなんだけど、その方法がいいって、僕には言えないところがあるんだ。

 結局そういう形にしても、西遊記のページをブックマークされちゃったら、そういう形にする意味がないわけだし、試合のある時しか更新されない、要するに1カ月に1、2回しか更新されないページを必ず見ないといけないというのはユーザーフレンドリーじゃないよね。

 で結局、チャレンジがいまのように枝というんじゃなくて、しっかりと幹の1つとして、木でも1本のやつじゃなくて、二股に分かれてるような感じの木にしようと思います。枝みたいな感じで目立たないんじゃなくて、これは枝じゃなくて幹の1つだぞっていうような感じにしようと。

 おたよりとかは別に並列に並べてね。でトミーチャレンジと西遊記が両方幹としてあって、しっかりと出てると。要するに新・西遊記の中にチャレンジと西遊記が並んで存在するという感じかな。そこらへんは清水さんにまかせたからだいじょうぶでしょう。まあ一旦作ってもらって、まずいところがあったらまた手直ししてもらうっていう感じだね。

 ということで3月1日からは新・ゴルフ西遊記に変わります。とりあえずURLなどは変わりません。清水さん、僕自身もどう変わるのか楽しみにしてますからね(笑)